恋愛コラム
第四回 「特別な日」(悠里)

七月十三日。
僕は家路に向かっていた。
毎年この時期になると思い出す事がある。
それは前の会社の同僚の若い後輩の女の子の話である。
彼女は今、僕が会って同じ事を話したとしても真直ぐ僕の目を見つめてこう言うだろう。
「おじいちゃんは生きてるんですよ。」

 私はその日、部活の朝練の日で、普段より少し早く起きていました。
リビングルームに足を入れると、祖父が朝御飯をもう済ませていて、どこかに出掛ける身支度をしていました。
「あら、おじいちゃん。今日はどこかに行くの?」
私は不思議に思ってこう尋ねました。
「ん?ああ。ちょっと旅行にな。」
「旅行?私そんな話全然聞いてなかったけど・・。」
「誰にも言っとらんからな。でも最後に会えたのが聡子で良かった。」
「最後?」
「あ・・・いや。正確には最後じゃなかったな。とにかく長い旅になりそうだから良平にもそう伝えといてくれんか?」
「お父さんに?」
「うむ。」
「でも、お父さん、仙台に出張でいないよ?」
「それは大丈夫だ。良平の奴は途中で帰ってくる。」
「え?」
「それじゃ、わしは出掛けるから。」
「う、うん。」
祖父はこんな不思議な言葉を残して、家を出て行ったのです。
 その日の夕方になっても祖父は帰ってきませんでした。夕食時、母がこんな事を言いました。
「朝、おじいちゃん、少し変だったのよね・・・。私が朝のパートに出掛ける時に玄関まで迎えに来てくれて、
(良平に帰ってきたら、ここの水道料金払うように言ってくれんか?)って。理由を訊いても答えてくれないの。
お父さんが帰ってくるまでに間に合うわけないのに。」
私の中で少し不吉な予感が走りました。

 私の予感は最悪な事に的中していまいました。数日後、帰ってこない祖父の捜索願を警察に出して、その日の夜、警察から早速連絡があり、川の土手で眠るように亡くなってる祖父の姿が発見されたのです。
死因は脳溢血。死顔は安らかでありながら、生前より生き生きしているように私には感じられました。
その川は祖父は愛してやまなかった憩いの場所。趣味の詩吟の練習のために毎日足繁く通っていました。
祖父は仰向けに倒れていて、右手にはしっかりと使い古した詩吟の本が握りしめられていました。
父は母の報告を受けて、その日に東京に舞い戻ってきました。
 夜、私は祖父と交わした最後の会話を反芻しました。
(良平の奴は途中で帰ってくる。)
まさにその通りになったのです。祖父は自分の死を予感していたのでしょうか?
父は祖父の言った通り、水道料金を自分で払う羽目になりました。
しかし、祖父の言葉でひとつ気がかりなものがありました。
(いや。正確には最後じゃなかったな。)
私がこの言葉の意味を知るのはもう少し後のことになるのです。

祖父が死んでから半年が過ぎ、お盆を迎えようとしていました。
「今年はおばあちゃんとおじいちゃんの分も迎えてあげなきゃならないね。お供えの果物をもう少し増やさなくちゃ。
住職にももう少し早く来てもらおうかしら。」
「そうだね。おじいちゃんもきちんと迎えてあげなくちゃ。」
私たちはお盆の準備を着々と進めていました。祖父を失った悲しみは癒えたわけじゃないのです。
そして如才なく迎え火を済ませた夜、私は不思議な夢を見ました。

(おい。聡子。聡子。起きてるか?)
(おじいちゃん?)
(ああ。そうだよ。まだ死んでいるわけじゃないんだから。)
(でも・・・・。)
(ちょっと引っ越しただけだよ。こっちの世界もそんなに悪くはない。)
(悲しくない?悔しくない?)
(ここの生活は楽しいよ。聡子に頻繁に会えないのが寂しいがね。)
(本当?)
(ああ。本当だよ。だから、そんなに悲しむものじゃない。わかった?)
(・・・・うん。)

私は目が覚めた後、爽快な心持になりました。夢であるのに祖父の懐かしい匂いが感じられたような気がしたのです。
そして、母にこんな事をいいました。
「お母さん。もう一人食事を用意しといてよ。」
「え?三人分あるじゃないの。」
「違うよ。おじいちゃんの分。」
「だって、おじいちゃんは・・・。」
「いいから。迎え火をしたんだから、おもてなしをしないとね。」
「・・・・わかったわ。」
両親は不思議そうに私を見つめていましたが、咎めようとはしませんでした。
その日の夜、私はまた夢を見ました。

(おじいちゃん。御飯おいしかった?)
(ああ。玲子さんは相変わらず、料理が上手だな。わしは幸せだ。でも、できれば、わしの座椅子があったじゃろ?
あれの前に置いてもらえると助かるんだが。その方は食べ安うて良いんじゃが。)
(わかった。でも本当に食べてくれたの?)
(本当だとも。満腹だよ。)

次の日の朝、両親が大騒ぎしていました。
「ねぇ。聡子。聞いて。変なのよ。」
「昨日、聡子に言われて用意したもう一人分。無くなってるのよね。お父さんも食べてないっていうし・・。」
「当たり前じゃない。おじいちゃんが食べたんだから。」
母は呆けた顔をして私を見ていましたが、私は構わず、学校の準備の為自分の部屋に戻りました。

送り火の日、父と母は火を見つめながら呟いていました。
「おじいちゃん。本当に帰ってきてくれたのね。」
「ああ。親父はそういう男だ。家族思いだからな。」
私は何故か嬉しくなりました。
「そうよ。当たり前よ。おじいちゃんはまだ生きてるんだから!」
「そう・・・・だね。」
母はそう言うと私に笑いかけました。
それに釣られて父と私も笑い出しました。
それからは我々家族四人はお盆の日の夕食は毎年、一家団欒で楽しくやっています。
私もこの時期を何よりも楽しみにしているのです。

彼女のこの話を始めて耳にした時、僕の五臓六腑から暖かいものがじわじわと沁み出して来た。
七月十三日。
僕は家のドアが開くのを見た。
出てきた女性は僕の妻であった。
「美咲。お父さんの迎え火をやるよ。今夜はお父さんと一緒に食事でしょ?」
「はーい。」
娘の姿が見えた。大きくなったものだ。
僕は毎年この時期を楽しみにしている。
こんな人生も悪くはない。
人生とはこの世界だけのものとは限らないのだ。


copyright(C) 2001-2005 gekkakoudou all rights reserved.